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北九州のキラリ人からの1,000字(豊山八幡宮第72代宮司 波多野隆英さん)

2023年 9月04日 14:32

「やはた」地名の発祥

みなさんは、八幡の地名の由来をご存じですか?
この話をするためには1800年も遡ってお話をしなくてはなりません。

約1800年前、第十四代神功皇后はこの八幡の地を訪れ、当社が鎮座している山に天下が豊かになることを願い弓矢を納め、『豊山(ゆたかやま)』と名付けました。
それから時代は流れ、推古天皇の御代である西暦623年、御神徳により宇佐神宮より八幡神をこの地に勧請し、豊山八幡神社が創建となります。

尾倉村より村が段々と広がり、小倉(後に尾倉に改称)、六ケ村(尾倉、前田、大蔵、枝光、鳥旗、中原)の総鎮守として当社は隆盛を極めました。各村には鎮守神社が必要となり、当社ご分霊をそれぞれの氏神様として遷し、枝光には枝光八幡宮、前田には仲宿八幡宮、大蔵には乳山八幡神社など各村に当社をルーツとする八幡神社が創建されていきました。

「製鉄記念尾大光病院」だったかもしれない?!

1889(明治22)年、市町村制実施により尾倉、大蔵、枝光の三村合併の折、地名を定める協議が
なされ、各村の頭文字を集めた『尾大光(びだいこう)』という名前で一旦決まりかけたそうです。決まっていれば、「製鉄記念尾大光病院」となっていたかもしれません(笑)

あまりにもしっくりこない地名は再協議となり、三村それぞれの氏神様が豊山八幡神社よりはじまっていたこともあり、八幡という字を取って八幡村と決まりました。これが、当社が『やはた』地名の発祥の地と言われる所以であります。

1923(大正12)年、八幡東西区では社格制度において最初に『村社』から『県社』に昇格され、
1930(昭和5)年、八幡製鉄所と共に八幡の繁栄した時代に、氏子崇敬者の浄財により総檜造りの現社殿が竣工し、八幡総鎮守の宮として現在も多くの崇敬を集めております。

創建1400年にあたり

本年、当社は1400年を迎えます。地域社会の発展、崇敬者各位の平安・安寧が信仰として、連綿と受け継がれてまいりました。次の時代にも『つなぐ』ことを見据え、佳き年を奉祝すると共に『<やはた地名の発祥の地>記念碑』や『鉄の大しめ縄奉製』など諸事業を地域の皆様と共に進めてまいります。
ぜひ、足を運んでみてください。
 
文:豊山八幡宮 第72代宮司 波多野隆英さん

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