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コラム「北九州のキラリ人からの1,000字」①

2022年 7月21日 15:03

ここでしか読めないコラム① 
今回の筆者 松﨑智海(まつざきちかい)氏

北九州市在住のキラリ輝く方々に寄稿していただきました。1,000文字の素敵な世界へようこそ。

■プロフィル
浄土真宗本願寺派永明寺(八幡東区川淵町)の住職。TwitterやYouTubeなどを使った発信、西日本新聞の連載や「だれでもわかる ゆる仏教入門」など著書も多数。仏教やお寺の魅力を楽しく発信し、「バズる住職」として県内外に広く知られる。

春は変化の季節。お釈迦様が説く「変化」とは。

新しい季節が、なぜかせつない日々なのは変化するからです。私たちは変化が嫌いです。お茶碗が割れることも変化です。人の心がわりも変化。病気や老いや死も変化と言えるでしょう。自分にとってどう影響するのか分からない変化は不安をもたらします。そんな不安が私たちをせつなくするのです。

お釈迦様が弟子たちにこんな話をされたそうです。

「一人の旅人が川岸にたどり着き、向こう岸に渡ろうとしました。周囲には渡れそうな場所はなかったので、旅人は草木を使って(いかだ)を作り無事に渡ることができました。向こう岸についた旅人は思いました『この筏はなかなか役に立ちそうだ。せっかくだからこれを担いで旅を続けよう』と。はたしてこの旅人の選択は正しいでしょうか?」

そう聞かれた弟子たちは、「旅人は間違っている」と答えます。いくら役に立つからといって筏を担いで旅を続けることはいいことだとはいえません。そこに置いていくべきだと口々に言う弟子たちを見てお釈迦様は微笑み「その通りです。どんなに役に立つものであっても捨てるべき時がきたら捨てるべきです。そしてそれは私の教えであっても同じです。」と説かれたそうです。

仏教と言うと頑なに教えを守り続けるイメージがありますが、意外とそうでもないのです。仏教こそ時代に合わせて大きく変化してきました。お釈迦様は「私たちの世界で変化しないものは何一つない」と説かれています。これを仏教のことばで「諸行無常」と言いますが、すべてのものは変化するということを理解せず、変化しないことに執われることが苦しみを生むと言われています。執われる心こそが苦の原因なのです。この執われる心を煩悩と言うのです。

新しい季節は大きな変化の季節です。新しい環境、新しい課題、新しい関係。どれも不安がつきまといます。しかし、すべては変化するものであるということを自然体で受け止めることも大切ではないでしょうか。

世界は変化し続けています。それは流れ続ける川の流れのようなものです。その流れに流される笹船を止めることはできません。しかし、その笹船の行く方に、川の流れと同じ速さで岸を歩いてみると、笹船は止まって見えます。全てが変化する世界において、変化させないようにするためには、変化をしていないといけないのです。変化を望むも望まないも、やはり一歩を踏み出さないといけないのではないでしょうか。

広報誌「こんにちはせいてつ病院です」128号より
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